坂口 千絵

看護師/ライフコーチ/メンタルカウンセラー

           セミナー講師/雑誌・WEBライター/コラムニスト

1972年、北海道室蘭市生まれ。札幌市在住。

 

こんにちは。

 

 

坂口千絵です。

 

・看護師歴25年以上

看護新人教育歴17年以上

コーチングコーチ資格保有

・カウンセリング資格保有

・ビジネスライター

 

の経歴をもっています^^

 

 

私は現在、25年間の看護師生活に

ピリオドをうち、今まで以上に

人生をよくしていきたいと願う

方限定で、音声動画配信による

講座+セッションを組み合わせた

プログラムをご提供させていただいております。

 

 

 

また、たくさんの大手企業様に

ご採用いただき、看護師さん向けに

ビジネスライターとして記事を

提供しています。

 

 

30代半ばを過ぎるまで、

看護師以外の道なんて考えたことも

なかった私が、どうして講座を開設

したのか。

 

 

そこには私の人生において

とある「一貫した信念」

があったからでした。

 

――

 

看護師志望した動機とは】

 

 

30代半ばを過ぎるまで、未経験

である看護師以外の道を考えたことも

なかった」

 

と言いつつ。

 

これまで私は、看護師に対する

興味や憧れがまったくありませんでした。

 

それどころか、

 

「私は看護師向いていない

 

 

看護師なりたいなんて思った

こともない

 

 

とさえ、思っていました。

 

 

そんな私がなぜ、看護師を

目指したのか。

 

 

きっかけとなった動機は、

 

 

「これからの時代は、手に

職を持った専門職の看護師

になるのが絶対にいい」

 

 

という看護師の伯母の一言でした。

 

 

毎日ひたすら勉強し、受験した

看護学校4校すべて合格!

 

 

我ながら幸先の良いスタートを切る

ことができました。

 

 

【絶対、この病院に看護師として就職したい!】

 

 

良くも悪くも存在感が強く、何かにつけ

目立つ私は、教務や実習指導者からも

目をつけられました。

 

 

「どうして私だけが怒られるの?」

 

 

と思うこともしばしば。

 

 

要領も悪く、看護技術手順

あやふやで何度も不合格。

 

 

進級も危ぶまれましたが

それでも、なんとかクリアでき、

ひと安心。

 

 

その後、看護師として就職先を

考えていたとき、

 

たまたまテレビで、とある脳外科

病院のドキュメンタリーを観ました。

 

 

映っていたのは、

一人の患者さんの可能性を信じ、

何ができるのかを懸命に考え、

ケアをする看護師の姿。

 

 

「目の前にいる人の人生を。

 

その人の可能性を最大限に引き出せる

看護ができる病院って、

 

なんて素晴らしいんだろう!」

 

 

感動した私は、

 

 

「絶対に、この病院で働く!!!」

 

 

と、熱い思いを胸に看護師として

念願の脳外科病院に就職しました。

 

 

【看護師としてのプライドと苦悩】

 

もともと、とても要領が悪い私は、

同期のなかでも落ちこぼれでした。

 

看護師仲間は、いろいろな仕事を

任せてもらえるのに、

私だけが任せてもらえない。

 

 

でも、3年目からは本格的に

リーダー業務もするようになり、

仕事も覚え、看護師としての

目標もでき、とても楽しい

思いました。

 

 

当時、19歳で交通事故に遭遇し、

片麻痺、意識障害となった男の子

プライマリー看護師になりました。

 

 

「目の前にいるこの子の人生を、

私が変えてみせる。

 

絶対に社会復帰させる!」

 

 

そんな熱い思いから、

 

「私が立てた看護計画は、

とても労力を要するものだけど、

必ず毎日、実施・評価してほしい」

 

とスタッフに懇願。

 

 

先輩からは、

 

「たくさんの患者さんがいるのに、

一人の患者さんだけ特別扱いはできない」

 

と、苦言を呈されましたが、

 

 

「19歳の未来ある彼のために、

やれるだけのことは全部したい」

 

 

と言い切り、協力してもらいました。

 

 

 

その後、彼は見事社会復帰し、結婚。

 

 

お子さんも生まれ、幸せな生活を

送るに至るまで回復したことは、

とても嬉しく、誇りに思っています。

 

 

 

月日は流れ、看護師6年目

 

 

 

看護新人教育のリーダーに任命

されました。

 

 

当時は看護師の教育方法も、

リーダーシップの取り方も

まるでわからない状態でしたが、

責任感の強い私は、毎日毎日、

必死で4人の新人看護師

同時進行で教育しました。

 

 

夜遅くまで残り、指導と反省、

そして振り返りの日々……。

 

 

スタッフには、

 

「そんなに詰め込まなくてもいいのでは」

 

「遅くまで残される新人看護師さん

たちがかわいそう」

 

と批判されました。

 

 

何が正しいのかわからない。

 

だけど、一度、漕ぎ出した船から

途中で降りるわけにはいかない……。

 

 

プライベートな時間も削り、

新人看護師たちをに振り返りと

反省を繰り返し、毎日残業の日々……。

 

 

とにかく、つらい、苦しい……

苦労の連続でした。

 

 

【夢や希望に胸を膨らませて

就職したのに、看護師現実は……】

 

 

「目の前にいる人の人生を。

その人の可能性を最大限に引き出せる

看護ができる病院って、なんて

素晴らしいんだろう!」

 

 

そう思って夢や希望を抱いて病棟

就職したのに、実際には平均在院

日数はどんどん短縮され。

 

 

せっかく良くなる兆しが見られた

患者さんも、すぐに転院してしまい、

状態が悪化してしまうか、その後の

状況がわからない。

 

 

「患者さんに十分な看護ができない」

 

 

そんなジレンマに苦しみながらの

毎日。

 

 

いつしか私は、

 

「一人ひとりの患者さんに十分な

看護ができないなら、看護師

やってる意味なんてない」

 

と思うようになりました。

 

 

あまりにも多忙な激務

流れ作業的にこなすだけの日々。

 

 

鳴り止まないナースコール。

 

 

転倒・転落する患者さんも

後を絶たない。

 

 

オムツ交換、食事介助、口腔ケア……。

 

点滴管理、急変対応、経管栄養の施行……。

 

ラウンドも終わらない。

 

時間内に看護記録も書けない。

 

 

看護師として働く気力も失せ、

どんどん疲弊しているのに、

多重業務は増えるいっぽうで

心の余裕もない。

 

 

当時、ひたすら頭をよぎった言葉は、

 

「もう辞めたい……」

 

でした。

 

 

「患者さんに優しくできない」

 

 

看護師としての自分を

信じられなくなった私は、

ある日のオムツ交換で、

 

全更衣しなければならないほど

尿失禁をしている患者さんを

みたとき。

 

 

毎日当たり前のように行って

いた看護業務だったのに。

 

 

「あ。もう、無理。限界

 

 

と思い、その日のうちに別の

職場に面接の約束を取り付け、

すぐに採用されました。

 

 

私は、これまでのキャリアも責任も

放棄し、逃げるように7.5年勤めた

職場を退職したのです。

 

それは、私にとって初めての

看護師としての挫折でした。

 

 

【はじめての転職、そして人生の転機】

 

 

29歳にして初めて「転職」した私は、

相変わらず要領が悪く、なかなか仕事を

覚えられずに先輩たちから白い目で

見られていました。

 

 

前の職場ではバリバリ、夜勤もしてたし、

リーダー業務もしていたのに、

 

「あの新人看護師さぁ、

夜勤入れないんじゃない?」

 

と陰で言われていました。

 

 

先輩看護師たちに悪口

言われていることを

別の先輩看護師が私に

教えてくれたり。

(余計なお世話です(爆))

 

 

そんなこんなで、まあ、本当に

辛い思いをたくさんしました。

 

 

それでも、この職場を退職しな

かった理由はただひとつ。

 

 

 

「マンションのローンを

払い終わるまで、辞めるわけに

いかないんじゃー! ボケー!!」

 

 

 

………ものすごい怒りを原動力にし、

ひたすら耐えしのびました。

 

 

3年ほど過ぎて、再び看護新人教育

のリーダーとしてリーダーシップ

とるようになりました。

 

 

そのころから私は、とある後輩看護師

に対し、異常なほどの精神的ストレス

抱くようになります。

 

その原因とは。

 

 

生意気、偉そうな命令口調、

すごい作話、きつい言いかた、

非を認めない、自分が評価

されることが一番大事、

攻撃性が高く、なんでも人の

せいにする……。

 

 

そんな彼女をどうしても受け入れる

ことができなかった私。

 

 

そして、そんな自分を許すことが

できず、私はどんどん自分を

追い込んでいきました。

 

 

心が苦しくてどうしようもない

という体験をこれでもかという

ほど、味わいました。

 

 

藁にもすがる思いで解決策を

探していたところ、たまたま

ネットでものすごく惹かれる

サイトを見つけ、無我夢中で

一日かけて読みました。

 

 

「ところで、この人の職業は

何だろう?」

 

 

とプロフィールをみたとき、

「コーチングのコーチ」である

ことがわかり。

 

 

「札幌でコーチングの資格を

取れる学校はないのか?」と検索し、

とあるコーチングスクールの体験会に

参加しました。

 

 

「私が求めていたものは、これだ!!! 」

 

 

その場で入学を申し込み、50万円

以上のお金を迷いなく払いました。

 

 

これまで、社会人として付き合いが

あったのはほぼ看護師仲間だけの

私にとって、プライベート

いろいろな職種の人とともに学べる

のは刺激的で貴重な経験でした。

 

 

哲学、心理学、物事の本質、生きる智慧、

コミュニケーション方法……。

 

 

本当にたくさんのことを学びました。

 

 

そして、コーチングのコーチの資格を

とったあとは、カウンセラーの資格も

とりました。

 

 

その後、結婚退職で一度、

現職を離れ。

 

 

1年弱で夜勤専従看護師として

仕事を再開しました。

 

 

正社員として末永くひとつの病院で

働き続けることは、当時の私にとって

大切な価値観だったので、

 

「看護師」にも多種多様な働きかた

があることすら気づきませんでした。

 

 

でも、いろいろな「働き方」がある

んだと気づいてからは、選択肢が

増えました。

 

 

【人生で一番の絶望を経験】

 

 

2016年6月27日。

 

 

20年以上、連れ添ってくれた主人が

5ヶ月と5日という短い闘病生活で

54歳の若さで亡くなりました。

 

 

私たちは、自他ともに認める

おしどり夫婦でした。

 

 

突然の発病。

 

 

坂道を転がり落ちるかのような

スピードで日々、悪化していく病状。

 

 

愛するひとの死なんて

とうてい受け入れられない。

 

 

看護師の仕事を続けながら

闘病生活を支え続け、

身体的・精神的に限界でしたが

現実から逃れられない苦しさ

潰れそうでした。

 

 

最期まで苦しみ抜いて

亡くなった主人のことを

思うと、今でもとてもつらいです。

 

 

 

あんなにいつもそばにいて

一緒に笑っていたのに。

 

 

私にとっての主人は、けっして

大げさではなく、

 

 

人生における「すべて」でした。

 

 

 

たぶん、ここまで長い私の

プロフィールを本気で読んで

くれている方はあんまりいないと

思うので、だいぶ、ノロけます(笑)

 

 

 

この世に永遠はないと知りつつも。

 

 

 

それでも私は永遠に主人のことが、

今も、そして、これからも。

 

 

 

ずっと、ずっと、大好きです。

 

 

 

そんな彼が私の目の前から

いなくなってしまったなんて

本当に嘘みたいです。

 

 

それから2年以上の間。

 

 

私は完全に生きる気力をなくしました。

 

 

毎日毎日、主人を思って泣いてました。

 

 

泣いても叫んでも。

 

 

どんなに寂しくてもつらくても。

 

 

私が生きている間、笑顔の主人には

もう、2度と逢うことができない。

 

 

くだらないことで互いに

笑い合っていた日々も。

 

 

幸せを噛みしめていた日々も。

 

 

もう、二度と戻らない。

 

 

「いつになったら主人は私を

迎えにきてくれるんだろう…」

 

 

毎日毎日、そんなことばかり

考えていました。

 

 

 

私の朝はため息から始まり。

 

寝る前は涙で終わっていました。

 

 

 

自分の人生なんて「消化試合」だと、

本気で思っていました。

 

 

これからの私の人生。

 

 

何事もなく、無難に。

 

 

ささやかだけど

ちょっとだけ美味しいものを

食べて。

 

テレビを見て。

 

読書して。

 

自分だけのために、時間を

使おう。

 

と。

 

 

それでいい。と本気で思ってました。

 

 

でも、看護師さんへ向けての

個人セッションをすることは、

純粋に楽しかったので、これまでと

変わりなく続けていました。

 

 

看護師さんとのセッションを

していると。

 

 

驚かれるんです。

 

 

「どうして、そんなことまで

わかってしまうんですか?! 」

 

「そんな考えかたがあったなんて……」

 

 

そして、ものすごく喜ばれるんです。

 

 

「もっと早く相談していれば良かったです……」

 

「前よりすごく楽になりました!」

 

「仕事が楽しくなってきました!」

 

 

お客さまの声を聞けば聞くほど、

 

 

「……あれ?私って、本当にこのまま、

消化試合の人生でいいのかな?」

 

「私が持っている能力を使わないのって、

すごくもったいないんじゃないのかな?」

 

 

と思うようになりました。

 

 

「どうせ死ぬまで生きなければ

ならないのなら、誰かのために

この命を、才能を、能力を

使い切りたい」

 

 

そんなことを考えていたら、

なぜか、わらしべ長者のごとく、

怒涛の展開が訪れました。

 

 

その後、看護師の仕事を引退し、

退職後たった1.5ヶ月で月収100万円を

突破という現実を創り出しています。

 

 

私の「一貫した信念」とは。

 

 

「目の前にいるあなた

人生に深くかかわり、あなた

自身でさえ、忘れてしまっている、

『本当の力』を取り戻してもらうこと」

 

 

そんな思いから、現在も楽しく

個人セッションをしています。

 

 

これを読んでいるあなたの人生に

深くかかわり、あなたの可能性を

見出し、それを引き出す。

 

 

それを目標に、日々、

チャレンジしています! 

 

 

あなたにここまで読んでいただけた

こと、とてもとても感謝です! 

 

 

ここまで長いプロフィールを

読んでくださったあなたとは、

今後、長いお付き合いになりそうな

予感がします^^

 

 

貴重なお時間を使って私のプロ

フィールをお読みいただき、

本当にありがとうございました!

 

 

今後ともどうぞよろしくお願い

いたします^^ 

 


経歴

看護師として約25年のキャリアを持ちながら、新人教育にも17年以上携わり、各勤務先で新人教育専門のリーダーとして、教育プログラムの作成・実行・新人指導を途切れることなく継続的に行い、教育システムの確立、管理を行った実績を持つ。

部下の育成・指導が得意でもあり、専門分野でもある。

新人教育に長年、携わる中、自分が本当にしたいことは何かを立ち止まって考えた時。

若い頃から「困った時の相談役」と言われ、友人や職場仲間の相談役になっていることが多く、沢山の仲間の悩み事の解決に一役買う人生を歩んできたことを生かしたいと考え始める。

自分が新人だった時代に、「ダメ新人」のレッテルを貼られ、陰口を言われたり、患者さんの前で怒鳴られたりと数々のいじめを経験した立場と、実際に新人教育を行う役職についた時に、周囲の指導のやり方に苦悩している後輩たちのメンタルサポートをする立場の両方を経験した時に、患者さん中心の看護を行うステージから、スタッフの心のサポートを行うステージへと、自分の使命が変化していることに気づく。

医療従事者の悩みやストレスの軽減・解消は今の現代社会においては必須であるにも関わらず、未だ改善不十分で、ストレスがますます増大する環境に疑問を感じ、本格的に「メンタルサポート」を専門として活動することを決意。

2007年にコーチングのスクールでプロとしての専門的知識・技術を習得し、CTC(コーチ・トレーニング・コミュニティ)認定コーチの資格を取得。

新人教育、スタッフの育成にもコーチングの知識・技術を存分に生かしていくと同時に、知人・友人・職場仲間達の人生相談もますます増え、一般人向けにも数々のセッションを行い、経験を積んでいく。

そんな中、「その人が、自分が持っている力を取り戻し、幸せな人生を歩むためには何が必要なのか」を深めるために、潜在意識を専門に取り扱うカウンセラーの資格も取得。
 
また、独学で数年に渡り、心理学・精神哲学・潜在意識活用方法・コミュニケーションについても学び続けている。

現在は、教育についての経験が豊富であることが大手企業にも認められ、専門誌の寄稿など、ライターとしても活動を行い、個人セッションにおいては、コーチング・カウンセリングの枠にとらわれず、これまで学んだ集大成の知識・技術を生かし、クライアントにとっては「美味しいとこどり」を意識したオリジナルのセッションを講座形式で展開している。